ああの、今日も夢を叶えるの巻!

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ミュージカル、映画、夢物語、タイ、歴史が好きな永遠の18歳(総合商社勤務歴あり)。

【オピニオン】プロフェッショナルは商業的成功を目指すべき

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サワディーカップ!

総合商社出身の自称タイ人、ああのです!

目次

プロフェッショナルとは何か

絶対条件として商業的成功が不可欠だ。

これが無い、プロフェッショナルは私はプロフェッショナルとは呼べないと思う。

厳しい言い方だが、やはり商業的成功、すなわちお金がしっかりと稼げないとそれはプロフェッショナルとは呼べない。

すなわち、たくさんの人から評価されることだと考えている。

確かに評価を考えず創作することや仕事を行うことが大切だという側面もわかる。

しかし、評価を受けずしてやはり仕事、創作は不可能だ。

評価を受けるとは一人よがりではなく、他人に評価をされるということである。

人間とは社会的な存在であるから、一人で生きていくということが難しい。

 

仮に、一人で生きていけるという話によく登場する、「農業」にしても、一人で行うことはほぼ不可能だ。

器具を買わないといけない、肥料を買わないといけない。

そうした売買を行なっているのは人間だ。

ほぼ、といったのは、もちろんタネをどこからか拾ってきて、そして水を池からくんで、自分の手で穴を掘って、掘り起こすときにも自分の手足だけでやることが可能であればという意味だ。

そんなことをしていては間違いなく商業的な成功はありえない(量が栽培できない)為、農業のプロフェッショナルとは言えないと思う。

もちろん手作業のプロフェッショナルということが可能になるならば試してみてもいいと思うが。

 であるとすると評価される作品を世の中に送り出すこと自体が必要になってくるわけだ。

アーティストの世界

しかしアーティストをみてみると、特に職人技の世界ではすごく上手な技術を持っていても商業的成功がされていないケースが多い。

もちろん基礎をしっかりと行い、完璧に創作活動を見事に成し遂げることは必要だ。

しかし自己満足で終わってしまっては、世の中には評価されない。

評価を気にせず創作活動することの楽しさを知っているので、それも素晴らしいと思う。

しかしプロフェッショナルとして生計を立てるからには商業的成功を目指すべきなのだ。

商業的成功とは世の中に与える価値で図られるのだから、仮に評価されないプロフェッショナルとはは世の中に対して価値を提供していないに等しい。

そうしたプロフェッショナルが増えるとどうなるか。

お金がもらえないという将来

とある職業が稼げないという点は、将来その職業を目指す者にとって危機的な状況である。

好きなことをして生きたいと思い、かつ生活も充実させたいという、しっかりとした「現実的な」後継者は望めなくなる。

すなわち、夢と希望を描けなくなる。

それは結果として、後継者不足を呼ぶことになる。

そうなるとさらに人気が落ち、悪いスパイラルに入ってしまうだろう。

もちろん、あなたが十分に満足行くように極めることは大切だが、大衆に評価される気持ちも大切だ。

そうした気持ちがあってようやくプロフェッショナルとなるのではないか。

まとめ

プロフェッショナルとして仕事をする上で、完璧を目指したくなる気持ちは避けられない。

けれど完璧にこだわるあまり、大衆性を無くしたプロフェッショナルな職業は世の中から消えてしまう可能性が高い。

孤高を極めた仙人のような世界観を目指すことも良いのかもしれないが、それはその職業の将来を考えた際に中々厳しいのではないか。

もちろん仙人の域に到達し、「カスミを食べて生きられる」のであればそれは問題ないのだが、人間はそうはいかない。

そうすると、やはり評価されるという点も大切になってくる。

「極める」と「評価される」のバランスだ。

これが上手に行くとプロフェッショナルとして「一流」と呼ばれるのではないか。

 

サワディーカップ!

ああのでした!