ああの、今日も夢を叶えるの巻!

ああの、今日も夢を叶えるの巻!

ミュージカル、映画、夢物語、タイ、歴史が好きな永遠の18歳(総合商社勤務歴あり)。

【夢を叶える】もはや海外では当たり前。毎日死ぬという生き方

サワディーカップ

ああのです!

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夢を叶えるヒントをお届けするコーナー。

今日は「毎日死ぬ生き方」という一見矛盾する考え方をお話ししたいと思います。

目次

お寺の掲示

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(出典:ダイヤモンド・オンラインから。願蓮寺(岐阜) 投稿者:@10com_rj [7月15日] )

ダイヤモンド・オンラインに面白い記事があったので紹介します。

お寺の掲示板に「お前も死ぬぞ」と書いてあったという。

なぜそもそもそんな言葉が書いてあったのか。

自分もいつかは死すべき存在である、ということを日頃私たちは忘れてしまいがちな世の中です。「釈尊」つまりお釈迦さまは、本当にこう口にされたのでしょうか。

釈尊の教えを伝えるとされる原始仏典『サンユッタニカーヤ』の中では、「生まれたものが死なないということはあり得ない」(中村元訳『ブッダ悪魔との対話』より)と記されています。この文言を書かれた住職はそれを直接的な物言いにしたのだと思われます。

ということが書いてあります。仏教における(ブッダが説く)死は、避けられないもののようです。なので「常に死を意識して生きよ」、ということを強調したのです。

日本での、死に対するイメージ

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日本では仏教が広く信仰されているとはいえ、日本人が仏教の教えを忠実に守っているというわけでもありません。

一般的に死ぬことイコール、ネガティブなことで、考えたく無いことだということとされています。もはや死ぬことについて話すこともタブーとされているような感じですよね。

確かに日本では、墓地、火葬場などが不気味な場所、けがれた場所というイメージがあります。実際住宅地でも、墓地の近くにある住宅地は人気がなかったりするもの。しかし一方で死者と交流を持つ、お盆や四十九日などといったイベントがあるのも事実。

とはいえ、死ぬことについて日頃意識しているかと言われるとそうでは無いでしょう。お盆に御墓参りをするのも、それはイベントであり、どちらかといえば実家で川遊びや田舎を楽しむくらいの意識です。四十九日も先祖代々やっているがゆえに義務的にやるもので、日頃から死を思う時間はありません。

やはり死に関する意識は低いと思います。

例えば「もし明日死ぬのであれば何をするか」と会社の同僚に聞いたことがあります。彼は「そもそも明日死ぬ確率があまりにも低いのだから、まず前提が違う〜」などと言っていました。

彼は東京の一流大学を出てそれなりの教養をもっているはずなので、彼が全てだとは思わないですが、基本的に日本人の死に対する意識は低いと思います。

日本が死に対して低い意識を持つのに対して外国ではどのような見方をしているのでしょうか。

外国における死

タイ

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このブログではタイ抜きに語れませんので、まずご紹介したいと思います。

南国タイは、年間を通して平均気温30度であり、バナナやマンゴーが歩いていると自然にその辺りに生えるので、寝ていても生きていけると言われるくらい(本当にそうかは一度試してみたいと思いますが)豊かな国です。

そんなタイですが、上座部仏教を信仰する人が大半です。何年かタイ人の同僚たちと働いてきましたが、彼らは死ぬことを怖いと考えている印象はありません。

今を生きている」という印象が強いです。

ビックリするのが、そんな彼らだからこそ、交通事故では死亡者数で世界第2位です(出典:ビジネス短信 - ジェトロ)。さらにびっくりしたのは、事故現場のグロテスクな写真つき記事を喜んで読んでいたりすることです。

実際タイ文化について研究されている大東文化大学の資料がありましたので、こちらをご参考までご覧ください。(出典:葬儀:タイ

タイ文化の中では、死後の生活に関する独自の観念が流布してはいるが、一般的にいって、「死」は究極的な終わりとはみなされていない。むしろ一つの世界ないし存在様式から、他の世界・様式への移行と考えられている。多くの場合、人々はこの世での「生」をあの世でも繰り返すものとされ、「あの世」は「この世」との断絶ではなく、連続性において把えられている。だから、後述する「死に方」が、死後の霊魂に影響を与えるという考え方も、生の最後の状態が死後のあり様を決定するという、生死の連続性において説明できる。 

一見、仏教でいうところの輪廻転生に近いものがありますね。仏教国ならではの考え方といえそうです。日本よりもさらに日常生活に仏教がとけ込んでいるタイでは、仏教らしさがより強い考え方をしています。(出典:Wikipedia

転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教仏教などインド哲学東洋思想において顕著だが、古代のエジプトギリシャオルペウス教ピタゴラス教団プラトン)など世界の各地に見られる。

メキシコ

死者との距離がもっとも近い国としてメキシコもよく挙がります。

特にわたしがこの記事のトップ画で使ったような骸骨の絵に現れていますよね、すごくカラフルで楽しそうな図柄は日本では決して見られないものです。

日本のように、骸骨=死=不吉、ではないんですね、不思議ですが。メキシコでは骸骨=死=再生という考え方が一般的です。

実際にそうした考え方が現れているのが、最近のディズニー映画、リメンバーミーです。

子供向けとはいえ、色彩をはじめ、ものすごく美しい作品なのでぜひご覧いただきたいのですが、ここでもやはり死についての考え方が日本とは全く異なることに気づきます。

メキシコには「死者の日」というのがあり、欧州のハロウィンのように盛大に祝うイベントです。(出典:Wikipedia

市街地はマリーゴールドの香りに包まれ、公園には露店が立ち並ぶ。11月1日は子供の魂が、2日は大人の魂が戻る日とされ、供え物がチョコレートなどのお菓子からメスカルなどの酒に変わっていく。日本のお盆に近い位置付けであるが、あくまで楽しく明るく祝うのが特徴である。死を恐怖するのではなく、逆にあざ笑うというモチーフとなっている。

墓地にも派手な装飾が施され、夜間にはバンドによる演奏なども行われる。カボチャを飾り仮装をしてパーティを行うなど、ハロウィンとも共通する点が多くあり、実際にルーツは近似している部分がある。

実際にメキシコに住んでいらっしゃる方の記事によれば、アステカ文明の影響だそうです。興味深いですね。(出典:メキシコ人の死生観から学ぶ

アステカ文明に由来している」ということ。この答えが多く返ってくるので、調べてみました。アステカ時代の人々にとって、死は"新しい命へと生まれ変わる一つの過程に過ぎないもの"だと考えられていたそうです。生の終わりではなく、永遠の生という幸福のために必要なステップ。アステカ宗教の特徴として、何らかの犠牲(特に心臓をくりぬかれ生贄にされる)により迎える死は、高尚な使命を与えられたことを意味したそうです。

メメント・モリ(死を想え)

シンデレラ (字幕版)

メキシコやタイなどでは死ぬということを常に意識しているというよりかは、死が再生を意味するようなイメージでした。

とはいえ、そうした「死ぬことは生きている上で不可欠なもの」として死に向き合う、日頃から意識することは大切です。 

年金がいくらになるか前もって計算し準備しておく、とかそういう話ではありません。もちろん老後に備えて準備しておくことは重要ですが、それ以上に死ぬという事実を前もって頭の片隅にでも考えているかということです。

そのことを良く言い表した言葉として、古代ローマの時代の「メメント・モリ」という言葉があります。

もともと「メメント・モリ」とは古代ローマ時代「今を楽しめ」という意味だったのがキリスト教が拡大していく中で「死を想え」という意味に変わってきました。

死を想うことで、今この瞬間に力を込めて生きる、という発想が可能になります。

それによって、変な不安や悩みから解消されることがまずメリットとしてあります。

そこでわたしからの提案としては「毎日死ぬように生きる」こと。

毎日、夜12時(24時)になったら死ぬ、ということです。

なんとなくシンデレラみたいですが。

「あと数時間で死ぬ」という気持ちがあれば、何を最優先にして動くかという発想になるのではないでしょうか。

「やるべきこと」が実はそこまでやるべきで無いこと、そして「やりたいこと」を先延ばししていること、に気づきます。

そうすれば、夢に間違いなく近づきます。というよりもはや夢が向こうからやってくるレベルです。

死ぬとは、その瞬間に世の中からあなたの存在が消えてしまうことであり、それ以上でも以下でもありません。だからこそ、死について意識すると、限られた時間を一生懸命に生きることができる。食べたいものを食べるし、会いたい人にあう。

ある意味「今を楽しむ」という言葉に近いものです。その気持ちがあれば、実は悩むことも無くなる。

悩むというのは将来を心配するからこそ悩むのであり、今この瞬間に集中することができれば、悩む行為が頭の中から一切消えます。

夢を叶えるのに不可欠な考え方といえます。夢を叶えるために努力されている方には、昔書いた記事の内容と連動して動いてみると良いかもしれません。

dream-realizer.hatenablog.com

まとめ

死ぬということは怖いことだと決めつけるのではなく、意識しておくことで不安や悩みから逃れることができます。

これから毎日死んで見てはいかがでしょうか笑

あんまり穏やかな言い方ではありませんが、それくらいの意識でいるとあんまり小さなことで悩んだりしなくなるものです。

サワディーカップ

ああのでした!

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