ああの、今日も夢を叶えるの巻!

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ミュージカル、映画、夢物語、タイ、歴史が好きな永遠の18歳(総合商社勤務歴あり)。

【レビュー】明治150年!日本の大偉人、渋沢栄一さんの史料館

サワディーカップ

ああのです!

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日が沈むとまた一段と寒くなってきますね。

都内の大好きな公園の一つである飛鳥山公園の中にひっそりと佇むこちらの史料館。

飛鳥山公園に行ったことがある方でも、こちらの史料館はご存知ない方もいらっしゃるのではないでしょうか。明治から昭和にかけて、実業界を牽引した、まさに現代の日本経済の祖と言えるお方、渋沢栄一さんの史料館なのです!

目次

そもそも渋沢栄一さんとは?

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(出典:Wikipedia

渋沢栄一さんをご存知ない方のために、少しご紹介させてください。

埼玉県深谷市のご出身である渋沢さんは1840年豪農の家に生まれます。渋沢青年はかなり優秀だったようで、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜の使いとして、パリに行くことになります。ただパリ旅行時に明治維新がおきます。帰国後は官僚となり数々の実務をこなされていますが、その後思うところあり、実業界に転じました。

実業界に転じられた後のご活躍もものすごく、合本組織(現在でいう株式会社)を日本に紹介したり、当時の財閥(三井・岩崎・住友・大倉など)と協力し、現代の大企業である、東京海上日動火災サッポロビール、帝国ホテル、みずほ銀行や各地方銀行など、数にして500あまりの企業の設立のリーダーシップをとったという、驚くほどすごい方なのです。

そして実業界の発展に寄与されただけではなく、第一次世界大戦が起こった際には米国の子供達を通じて、日米の国際親善を行うなど、国際的にも名前が知られています。

最近では、「びっくりぽん!」で有名になりましたが笑、NHK朝ドラの「あさが来た」で三宅裕司さんが渋沢栄一さんを演じたことでも名前が知られるようになりました。検索しても三宅さんのシーンは動画には出て来ませんでした、ざんねん、、、、。


あさが来たPV

史料館ロケーション

JR京浜東北線王子駅、あるいは東京メトロ南北線西ヶ原駅、またはさくらトラムの飛鳥山停車場からほど近いところにその史料館はあります。現在は一帯を渋沢栄一記念財団が管理しています。

なお、さくらトラム(元、都電荒川線)の飛鳥山停車場が一番近いので、もし行かれる場合には、こちらもおすすめ記事です。

dream-realizer.hatenablog.com

ただ、飛鳥山公園が大きいので、ややわかりづらくなっており、こちらの看板をまず見つけてください。目に入れば坂を登るとすぐに到着します。

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入館料

300円です。見られる量と比較するとめちゃくちゃ安いです。この入館券で、史料館の他に無料で入れる渋沢庭園内にある、青淵文庫と晩香盧に入館できます。

(引用:利用案内|渋沢史料館|公益財団法人 渋沢栄一記念財団

 

      一般   小中高

個人    300円  100円

団体    240円  80円

三館共通券 720円  240円 


なお、上の写真にもありますが、三館共通券については「飛鳥山3つの博物館」と称し、隣には紙の博物館(一帯の「王子」はもともと王子製紙が発祥の地だけあって紙に縁が深い土地のようです)と飛鳥山博物館もありますが、両方に入館するには720円です。 

もうすごい、史料館の内容

これはもう異次元です。

渋沢栄一さんを尊敬してやまない、「ビックファン」のわたしからするとかなりのヨダレものの「すごさ」です。

チケットを買って入館すると、2階に行くよう言われます。2階の展示が全てになりますが、それにしても業績の数々があまり知られてないのが驚くほど、本当に尊敬できる、すごい方だと改めて思います。

写真を撮ることは許されていないので、内容をかいつまんで話しますと、幼い頃からの時系列を追って行く展示になっています。驚くべきはWikipediaに書いていない重大な資料に加え、貴重な生の音声が聞けて感動します。彼が設立した企業や医療団体、設立支援した学術団体など数多くの組織を知ることができます。そして国際親善という意味ではトーマス・エジソンと交わした手紙やフランスの知己と交わした手紙もあったりと本当に凄まじいです。

中でも渋沢栄一さんが亡くなられた時の新聞記事が1面なのは「そりゃそうだ」と思うのですが、昭和天皇から沙汰書という弔意を示す手紙が送られており、次元が違うレベルですごいです。。。渋沢栄一さんは第二次世界大戦前の1931年に亡くなられていますので、1946年1月の天皇陛下人間宣言前ですから、当時は天皇陛下は「現人神」でしたので、その方から直接手紙を受けるというすごさを想像するに、やはり日本に与えた業績の大きさは計り知れません。

青淵文庫と晩香盧

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(天気も良く、非常に綺麗に撮れました。申し訳ありませんが、著作権ありとさせて下さい!個人・商用問わず、ご連絡を頂ければ幸いです!)

こちらの白い建物が青淵文庫です。青淵文庫は現在国指定の重要文化財となっています。かつては書庫として利用することを前提に作られました。

結果的には書物が燃えてしまったので、お客様を迎える場所として使われました。広いですね。本何冊を収蔵する予定だったのでしょうか。これだけ立派な書庫であれば、1万冊くらい入るかもしれませんね。

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一方こちらの、晩香盧は77歳(喜寿)になられた時に、清水組(現在の清水建設)が渋沢栄一さんに感謝して贈呈された建物です。室内には「鶴は千年、亀は万年」からかどうなのか、鶴をイメージしたライトがあったり、寿をイメージしたモチーフがあったりと素敵な和洋折衷な建物に仕上がっています。

渋沢栄一さんのすごいポイント

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今回史料館に行き、Wikipedia以上の内容に触れてみて、わたしが感じた、すごいポイントを挙げたいと思います。

  1. 財閥を作らなかった点
  2. 他人のために尽くすことが経済であるとした点
  3. 官僚をきっぱりと捨て、実業界に転じた意志の強さ
  4. 医療や国際親善に取り組む先見の明

実は渋沢さん、企業を設立に関与しまくったにも関わらず、財閥を作っていません。500以上もの企業活動を行いながら、渋沢グループというものは形成していないのです。

例えば、現在は三菱グループとして知られる岩崎家や、三井グループとして知られる三井家はそれぞれ、船会社や呉服店を経営して財をなし、一族を中心とする企業集団を形成していきました(その後、経営から身を引いたことは事実ですが)。

一方で、渋沢栄一さんがすごい点は、そうした企業グループを形成しませんでした。そう行った、財閥を作るよりも、「人々が企業活動を通じて、世の中に経済活動を回して行くことがさらに世の中のためになる」という決意で、何よりも尽力したという点がすごい点です。これは名著、論語と算盤の中でもとうとうと語られています。

なお、論語と算段については、今は現代語訳も出ていますので、こちらはとてもオススメの本の一つです。彼の考え方がそのままダイレクトに伝わってきますので、読み応えがあり、何度も読み返したくなる本です。

そして、他にもすごい点は、官僚になり、大隈重信井上馨といった明治時代の偉人たちとともに、数々の業績をあげていましたが、実業界に行くと決意したとき、周りの人が何を言おうとそれを排し、意志を貫いた点です。相当強い意志がないとできない決断ですよね。すごい勇気とそして自分を信じ抜くという素晴らしい才能をおもちだったのだと推察します。

とはいえ、彼は断固として自分を曲げず、いろんな人を敵に回していたかというと、そういうわけではなく、財閥とのお付き合いや、医療法人への協力など後世の人々のことにも配慮して経済活動を行って行かれたという点も何よりすごい点ではあります。

まとめ

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あまりの感動ぶりに「すごい」を連発してしまったのですが、本当にすごいです。もちろん史料館では、青年期や仕事を始めたての頃には血気盛んな面も知ることができるのですが、その経験を経て日本経済にあれだけの貢献をされ、そしていつまでも謙虚におられ各業界から支持されたというのは、本当に改めてすごいことです。個人的には、渋沢栄一さんは過去に戻れるならば笑、歴代の経済界の中でトップクラスに会いたい、憧れの人です!

古典を知ることは、新しいことを生み出すことに繋がるので、ぜひそうしたことを考えている方にはぜひ訪れてみて下さい。大変にオススメできる史料館です。

サワディーカップ

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