【実録】総合商社を辞めた私の4ヶ月
サワディーカップ!
総合商社出身の自称タイ人、ああのです!
自分にとっての備忘録として、会社を辞めてからの4ヶ月を振り返り、綴っておきたいと思います。
もちろん会社を辞めようとしているあなたにとっての何か気づきがあれば嬉しいです。
なお、若干の脚色があることはご容赦いただければ幸甚です。
そして今後また書き足すこともあるかもしれません笑。
目次
1ヶ月目、辛いことは一度に来る
会社を辞めるとすぐに、無気力状態が続いた。
何をやるにも気力が出ず、まるで会社が自分にとっての分身だったかのように感じられた。
それは辛い、そう、とても辛い体験だった。
そもそも会社を出る決断をしたのは他でもない、書くにも値しないレベルの低い数々のパワハラと、仕事をしない数多くのマネージャー、そして自分の中のやりたいことをできないうずうずを解放したい気持ちが抑えきれなかったからだ。
しかしそんな自分をまるで否定するかのごとく、会社を辞めた後すぐは、まるで大切な何かを失ったかのような無気力な気持ちがもたげた。
もちろん辞めたことについての後悔は一切していないが、一抹の寂しさは後を引きずった。
おそらく今思えば終わりのないパワハラに体がショックを受け、うつだったのかもしれない。
ただこれも今思うのだが、もはやどうでもいいことだ。
パワハラを行った人を恨んでもその恨みはまた返って来るだけだ。
その力をエネルギーに変えたい。
恨みの連鎖に加担する限り、レベルの低い人と同じレベルにいる。
それはあまりに意味のないことだ。
間違っても同じレベルにはなりたくない。
もちろん、辞めた理由を何とかして聞き出そうとするものもいる。
私は基本的に相手にはしない。
そんなのを聞いたところで何の肥やしにもならない。
あくまで私は自由でいたい。
悪いことは続くものだ。
大切な友人を一人失った。
その時には大したことのない喧嘩のように思えたが、まるで一生後悔してもし尽くさない喧嘩だった。
後から思い返すほどにこれほど強く後悔し、傷ついたことはない。
胸が張り裂けそうになったが、人対人とは自分が思っているように事が運ぶものでは無い。
期待をしても裏切られることもあるし、思っても見なかったことで喜ばしい出来事を持って来てくれたりもする。
だから私は後悔もそこで捨てた。
今を大切に生きることにしたからだ。
彼から連絡が来なくてもそれはそれでいい。
とはいえ、整理がつかないまま時間だけが過ぎた。
気持ちはさらに沈み込んだ。
つい最近までは会社を辞めることに精一杯だった私がである。
人生はまさに起伏の激しい砂漠のようなもので、掴んでも掴んでもどこかに飛び去ってしまう。
ただオアシスは間違いなく近くにあるのだ。
気付かないだけで。
2ヶ月目、力が続く限りやるしかない
1ヶ月がまた過ぎると、気持ちにようやく整理がつき始め、私は実家に帰ることにした。
そして三重にも。
三重には小さい頃から夏になると祖父母を訪ねにいったことがあった。
かなり前のことだ。
もちろん月日は流れ、結局今は誰もいない空洞のような家になってしまった。
それもまた寂しさを余計募らせた。
しかし今回の旅路はあくまでも祖父母の墓参りを兼ねていたため、悲しみはあまり無かった。
むしろお疲れ様、とでも感じるほどの心持ちだった。
三重につくと、私はただひたすら自然を味わった。
山の濃い緑、清冽な水の白、天まで届くかのような空の青。
それは東京で普段暮らす私にとって清涼剤以上のものだった。
会社員としての日々に擦れ、薄れつつあった生きることへの情熱と自然無くして私たちは生きる事ができないという摂理そのものに気付かされたのだ。
夜空の美しさも格別であった。
夜には鹿が鳴き、虫の声は夜更けまで続いた。
朝外に出ると、澄み渡る空気に胸がすいた。
麦わら帽子をかぶりただひたすらに草をむしった。
田舎はそういった日々の作業を怠ると生きていけない。
自然は雄大でそして厳しく、ただ温かい。
その単純でしかしリズミカルな運動は私を大いに元気付けた。
ついぞ味わったことのない空腹がやってきた。
思わず、声が出た。
「あー、お腹すいた」
久しぶりに充分に力を取り戻した私は東京に戻ることにした。
何が現実といえるかは不明だが、東京にもどり現実と向き合わなければいけない覚悟はできていたつもりだった。
しかしいざ東京に戻ると、そんな元気もすっかり失せ、ただ残るのは焦りだった。
会社の同期たちはすっかり会社にも馴染み、出ていったものたちはみなしっかりとそれぞれの道を歩んでいる。
私は何をしているのか。
そうやって時に自分を責めたこともあった。
しかし責めたところで私にとって状況は好転しない。
むしろ悪くなるばかりだ。
結局は身体はひとつ。
私が動かないことには何も始まらなければ何も終わらせることはできないのだ。
自分の手で何かを掴みとらねばならない時はきていた。
3ヶ月目、挑戦とインプット
かねてより情熱の対象であり、私のライフワークといっても過言ではない舞台に挑戦した。
何年間か俳優をアマチュアでやっていたが、初心者としてはそこそこのレベルにあると信じている。
タイから戻ったあとでロクに練習もできなかったが、突貫工事で練習し臨んだ舞台。
想像以上に良い出来だった。
観客はおろか、共演者も「素晴らしい」と褒めてくれた。
仮にお世辞だったとしても、私にとっては十分に勇気づけられた。
その優しい励ましがどれだけこの世の中を救っているか。
鞭だけで教育が成り立つと思っている馬鹿者たちは早く気づくべきだ。
飴無くして成長はないということを。
勇気をもらい自信を取り戻した私は知識の探究心に取り憑かれ、精力的に本を読むことにした。
それも膨大な量を。
高校生以降ほとんど本を読まなくなった私が、図書館や本屋で1週間で20冊以上も本を読んだというのは驚きに値する。
自分では信じられない。
けれどまだまだ足りない。
もっともっとインプットをしたい。
それがこれからに繋がるのであれば最高だ。
4ヶ月目、これから、これからも
これは今。
これからの物語はどうなることやら。
私自身もさっぱりわからない。
ただ一つ言えることは私にとって大きな決断であり、時間をかけて十分に吟味したということ。
そして後悔は一切無いということだ。
もちろん楽しいことばかりでは無い。
というより悩もうと思えば尽きないほど、悩みには恵まれている。
とはいうものの、時間は有限だ。
だから時間を悩みに使い果たすも、解決に使うも自分次第ということなのだ。
そして今までやってきた経験が全て無駄になるとは到底思えない。
会社員としてやってきたという実績は強いし、またそのほかにもスキルがある。
私ならではの独自性を出すにはまだ時間はかかりそうだが、幸い私が失ったのは会社員という肩書きだけだ。(仮にそれが総合商社だとしても)
ただ満たされないのは、仕事を通じて社会に未だ貢献できていないということだ。
今はそれだけをまず満たしたい。
今の気持ち?
究極とはとても言えないが、最高だ。
自分の大切な人と自分の大切な時間を大切に過ごす。
これができるだけで最高に幸せだ。
自分の作る作品が世の中に出回ることを考えるだけでうずうずする。
ありがとう、はてなブログ。
まとめ
夜明けは近い。
しかしいそがず時間をかけてエネルギーを溜めよう。
それからでも遅くはない。
自然は雄大だ、そして慈悲深い。
綺麗事は抜きにしてただ自分を愛し、いたわってやる。
それができる環境はどうしようもなくたまらなくて愛おしい。
サワディーカップ!
ああのでした!