仕事ができる人の特徴
仕事ができる人はどんな人なのだろう。
古今東西、いくらでも議論の余地があり、人それぞれに解釈こそ異なるものの、
本質のところは同じだと思っている。
仕事の本質とは何か。
成果である。成果で考えれば、出世するか否か。
とはいうものの、そういうとらえ方も嫌いではないのだが、少し味気ない。
なんだそれwと思われるかもしれないが、
本人は努力を重ねたのだから、出世による地位の向上よりももっと得られるものがあってよいはずだと思うのだ。
大企業ではなく、中小企業や、特に経営者、他にはフリーで活躍する人にとっては、出世とは特段意味をなさない言葉かもしれないのだし。
「尊敬されるか否か。」
こうしてみるとどうだろう。割と納得してもらえるのではないだろうか。
尊敬されない人が仕事ができることと同一であると願う私にとっては、必要十分条件であり、これ以外の要素があまり範疇に入らないのだ。
であれば、尊敬されるとは何か。
「実力があり、それを背中で見せる人」、「後輩の面倒見がよく頼りになる先輩」、あるいは「異性同性かかわらず好かれモテる人」か、それとも「年長者もうまく立てて円滑に物事を進められる人」か。
私なりに考えました。。。。
うん、全部だねw
というより「尊敬される」、という言葉はとてもよく使うのだけれど全然実感がわかないので、なんでだろうと考えたら、
「実際に尊敬する人」が沢山いるんだけれども、
その個性や性格、人生への姿勢がバラバラということに気づいた。
ということは、尊敬される人って何か自分の感度に引っかかった人なんだな、と。
もちろん職人的な技術を磨いたことが琴線に触れることだってあるし、
だから実は仕事ができるっていうのは、みんな色々と条件を付けて言うのだけれど、
エクセルができたからって、報連相がしっかりできたからって何の意味もなくて、
本質は単純だと思っていて、
人として魅力がある人じゃないかと思う。
というのは「仕事ができる」っていうのはあくまでも人からの評価なんだよね。
自分でいくら、「俺はできる!」と言ってみたところで、それは妄言でしかなくて、
周囲の環境や顧客、同僚、上司が評価してようやく「できる奴」となるわけだ。
だから、そこに重点を置くのであれば、やはり人から評価されないと仕事ができるとは言ってもらえない。
そういう意味でも、人としての魅力があれば何かと評価を受けやすいし、上に立つのもたやすいと思う。
でも実はそういう、出世をしちゃうと途端に責任感に押しつぶされる人がいる。
ということは、仕事ができると世の中で言われているのは
「テキパキと片づけることができる」ではなくて、
「人から評価される」ということなんだろうね。
ただ、一つ言えることは、仕事ができるようになるのにはもちろん職業上の特殊な要領や技術も必要。
でもそれ以上に人間としての魅力を磨く必要があるということだね。
それに尽きると思う。
※
ただ成果主義の環境では若干違うのだろうなと思うね。
特に「ザ・日本企業」の場合、年功序列がしっかりと機能していて、
いまだに人間関係調整能力がもてはやされたりするらしいから(50年前の欧州のイメージ)、
これがそのまま当てはまるのだけれど、
欧州系の企業や環境の場合は若干ずれがある気がする、経験上。